≪星の国から風だより≫  第10回 2010年1月19日

 

皆さん、新年あけましておめでとうございます。

 

新しい年になりましたが、不況は相変わらずでデフレは加速し、政治も安定せず、なかなかよいニュースがありません。なんだかお先真っ暗、という感じですが、こんなときは見方を少し変えてみるとよいのかもしれません。最終回の今回は、昨年から私の心を捉えているある子ども文学についてお話します。

 

本のタイトルは『大草原の小さな家』(Little House on the Prairie)に代表される9作にわたるシリーズ小説で、西部開拓時代のアメリカを舞台にしたインガルス一家の物語です。1975年から7年にわたってNHKで放送されたドラマでご存知の方もいるのではないでしょうか。この小説は、ローラ・インガルス・ワイルダーが63歳のときに娘のローズに強く勧められて執筆、出版し、たちまち大評判になったものです。物語はローラが4歳から18歳で結婚するまでの体験をもとに書かれ、チャールズ父さんを中心に一家が住まいを転々としながら様々な苦難に遭いながらも逞しく生きていく様子を綴っています。

 

シンガポールで生活する中である日ふと、この物語を思い出しました。日本人コミュニティーで話題になる、親子のコミュニケーションの難しさや、人間関係のストレス、子どものいじめの問題などについて考えていたとき、テレビドラマに出ていた個性的な登場人物たちを思い出したのです。たとえば雑貨屋の奥さん、オルソン夫人は今でいうところの「モンスターペアレント」そのものです。夫の忠告をよそに子どもを甘やかし、高価なものを買い与えます。町一番の富を盾に学校の運営にも口を出してビートル先生を困らせます。子どものネリーとウイリーは親の権威を借りて裕福でないローラとメアリーをいじめたり馬鹿にしたりします。そうした隣人に困らされながらも父さんと母さんは子どもたちに友愛や忍耐、モラルの大切さを教えます。

 

1870年から1880年代のこの時代、大草原の生活は困難に満ちていました。一年がかりで大切に育てた小麦があっという間にイナゴに食べつくされたり、突然ヒョウが降ってきて作物が全滅したり、竜巻が発生して地下室に避難したりしました。冬は長く厳しく、物資の配送が滞って町の人々が飢えに苦しんだこともありました。また、家族全員がマラリアにかかって死にかけたり、長男が生まれてまもなく亡くなったり、しょうこう熱にかかったメアリーが失明したりと一家に次々と悲劇が襲いかかります。そんなときでもチャールズ父さんは明るく振舞い、夕食後にはバイオリンを弾いて家族を勇気づけます。手先が器用で教養もあった父さんは、穀物が不作の年は出稼ぎにいって肉体労働をしたり、大工仕事を請け負ったり、経理の仕事をしたりして一家を支えます。キャロライン母さんは夫が不在のとき、狼の遠吠えやインディアンの襲撃に怯えながらも4人の娘たちをしっかりと育てていきます。

 

同時代、日本でも電気もガスも水道もない不便な生活でしたが、水資源が豊富な日本はまだ恵まれていたのではないかと思います。大草原では水場を確保するのも一苦労です。井戸がなければ毎日川から水を汲んでこなければなりません。森から木を切ってきて自分の家を建て、牛、馬、鶏を飼い、畑で野菜を育てます。冬がきて作物がとれなくなると父さんが狩猟にでかけて鳥やうさぎを捕獲して食べます。洋服は母さんが家ですべて手作りしていました。洗濯は週に一度、裾の長いドレスやベッドのシーツなどを石鹸で手洗いしたあと沸騰したお湯ですすいで消毒し、手で絞って干していました。料理はストーブと呼ぶ釜に薪で火を起こして調理していました。当時は現代と違って、衣食住が生きることそのものでした。厳しい冬に備えて夏の間に食料を蓄えて準備をしておかないと生き残れませんでした。ラズベリージャムや豚肉の塩漬けといった食品保存の知恵も厳しい生活環境から生まれました。また、地域で互いに助け合わないとどうにもならないことも多かった時代でした。

 

現代は便利さという点では申し分のない時代です。今の時代にインガルス一家がやってきたら、父さんも母さんもさぞ驚くことでしょう。食料はスーパーにいけば何でも手に入ります。パンだって売っているので毎朝焼く必要はありません。衣服だって店にいけば安く買えます。夜遅くまでオイルランプを灯して針仕事をする必要はありません。洗濯は洗濯機が勝手にやってくれます。学校は大きくて先生も大勢いて、年齢がくれば誰でも行くことができます。農作業のシーズンでも男の子たちは欠席する必要はありません。家はお金さえだせば業者が建ててくれます。銀行でローンを組めば何年にも分けて借金を返せます。そして何より、車があるので馬や牛を飼って毎日餌を与える必要もありません。約束の時間に遅れそうでも携帯電話があるから大丈夫です。海外の友人でもネットでメールすればすぐ連絡が取れます。

 

現代人には電化や機械化によって昔よりもゆったりと過ごす時間があるはずです。
なのに、なぜいつも忙しいと感じるのでしょうか。また、なぜ幸せだと思えなくなっているのでしょうか。なぜ、11年連続して3万人以上も自殺者が出るほど生きることが辛くなっているのでしょうか。

 

シリーズ7作目の『この輝かしい日々』の中で、興味深いエピソードがあります。15歳で教師となったローラは、頼まれて自宅から20キロ離れた小さな学校で8週間教えることになりました。生まれて初めて自宅を離れたローラは、ホームステイ先の奥さんに『招かざる客』として扱われ、憎しみと怒りに満ちた沈黙に押し潰されそうになります。厳しい寒さの中、ストーブのない小部屋で心身ともに凍えながら、ローラは自分の家がどれだけ居心地がよく、愛に満ちた場所だったかを再認識します。この体験以来、ローラはそれまでは退屈だと思っていた自分の町の全てを愛おしく感じるようになります。このエピソードは私自身の体験とも重なりました。初めて四国を離れて横浜で学生生活を始めたとき。また、初めて日本を離れてアメリカでホームステイしたとき。そのたびに自分の実家や故郷のぬくもりを実感したものです。

 

人は何かを失ってはじめてその価値に気づく、というのはグリーフワークで学んだことですが、全てにおいて開拓時代よりも便利で恵まれているはずの現代人の幸福感が希薄というのは、便利さに慣れてしまって自分が今持っている幸福に鈍感になっているということでしょうか。それとも大切なものを失う体験が日ごろ不足しているということなのでしょうか。

 

最近我が家では週末に『大草原―』のDVDを子どもと観るのが習慣になりました。物語のローラとメアリー同じ、姉妹の子どもたちは自分と同じ年頃の子どもが家の手伝いを義務として負わされ、クリスマスには縫い物や編み物をして両親にプレゼントをつくり、幼い妹の世話をするといった、いわば昔の日本でも当たり前だった光景に驚きます。水も水道ではなく、毎朝川から汲んでくるのが子どもたちの仕事であったり、学校まで何キロも雪の中を歩いていく姿や、教科書や鉛筆を大切に使う姿を興味深く見ています。自宅の水洗トイレですら夜は怖がる娘たちは、当時トイレは外にあったと知って、(ありえない!)という表情をしていました。

 

私も自分の母親から聞いた日本の戦後の生活などを伝えながら、昔の生活がいかに大変だったか、今の私たちがどれだけ恵まれているかを話しています。厳しい毎日の中でも大草原の輝きを愛したローラ、失明しても大学で勉強し続けたメアリー。忙しい家事をこなしながらも夜は夫と談笑する時間を必ず作っていた母さん。娘4人と妻を養うために奔走しながらも希望を捨てず、バイオリンを奏で続けた父さん。この一家の姿に、どんな状況でもなんとかなる、と信じる勇気を与えられた気がしています。ローラは結局家族の中では最も長生きし、1957年に90歳で亡くなりますが、自分の寿命を全うするだけでなく、その人生を存分に生き、晩年は若い世代のためにと体験を本に綴りました。その驚くべき記憶力と細かい風景描写の才能は、目が不自由になった姉のメアリーのために風景を言葉で伝えていたためと言われています。

 

このシリーズ作品は子ども文学として数社から出版され、日本でも長く愛読されてきました。優れた文学は子ども文学に結構隠れていることを最近実感していますが、冬の夜長、気持ちがちょっと沈みかけたときに読んでみてはいかがでしょうか。暖かいココアを添えて・・・。
 最後になりましたが、10回にわたって私の稚拙で冗長な文章を読んでくださり、有難うございました。本年もよろしくお願いいたします。

 

参考文献:「大きな森の小さな家」ワイルダー 講談社青い鳥文庫 1982 
「大草原の小さな家」ワイルダー 講談社青い鳥文庫 1982 
「大草原の小さな町」ワイルダー 講談社青い鳥文庫 1986
「この輝かしい日々」ワイルダー 講談社青い鳥文庫 1987
「プラムクリークの土手で」ワイルダー 福音館書店 2002
“Learn about Laura” Laura Ingalls Wilder Memorial Society, Inc. http://www.liwms.com

 

10.「小さな家」から学んだ大きな幸福関連ページ

星の国から風だより
シンガポールという国、皆さんはどのくらいご存知でしょうか。
2.出稼ぎ労働とメンタルヘルス
シンガポールには出稼ぎ労働者が多く住んでいます。人口459万人のうち約100万人が海外から働きに来ている外国人ですが(かくいう私の夫もその一人)、今回はある外国人労働者に起こった悲劇についてお話します。
3.闘病からの気づき
アメリカに端を発した世界金融危機の波はここシンガポールにも押し寄せ、バブル景気に沸いていた市場は一気に冷えこみ始めました。年々上がる一方だった住宅価格も下がり始め、好景気を見込んで高級コンドミニアムを購入した人々は多額の負債を抱え込んだようです。 昨年この国がバブルに浮かれているとき、私は一人の女性に出会い、改めて人生の価値は財産ではないことに気づかされました。今回はその女性についてお話します。
4.暑いお正月に感謝
日本では寒い毎日のようですが、当地シンガポールは朝晩「涼しいなー」という感じの冬です。日中は30度近くありますが、プールに入ると水は冷たく、子どもたちは震えながらスイミングをしています。日の出と日の入りは年中7時ごろですが、冬は日の出も多少遅くなるようで、子どもがスクールバスに乗る朝7時でもまだ暗く、月が出ています。
5.ママ友の闘病体験
乳がんを患った友人Tさんの講演会についてご報告します。
6.ホストマザーに学んだ人生
今回は3月に訪れたアメリカで感じたことをご報告します。
7.マイケル・ジャクソンを悼む
マイケル・ジャクソンの訃報が世界を駆け巡りました。史上最も成功したエンターテイナーとしてギネスブックに認定されたほどの功績を残したマイケルですが、その私生活は訴訟、ゴシップ、離婚、処方薬依存と波瀾に富んでいました。
8.グリーフワーク講座
シンガポール日本人会厚生部主催でグリーフワークの講座をおこないました。
9.私流アンチエイジング
エイジング(加齢)について真面目に考え始めました。きっかけは先般のグリーフ講座で資料として使った竹内まりやさんの「人生の扉」という歌です。